看護学生物語!~学生寮編~

さて、今日もいつも通りブログを書こうと思ったのですが、自己啓発系のことを書いても、「本読めばわかるしな~」と思って、今日はこれまであまり触れられていなかった、私自身の看護学生経験談をご紹介したいと思います。
興味なかったら、読み飛ばしてくださいね(^^;
エッセイ風に書いていきます。誰かのお役に立てることを願っております!
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私が看護学生になったのは、さかのぼること十数年前。
私は兵庫県出身で、生まれも育ちも兵庫だが、なぜか、千葉県の学校を受験した。
その理由は、たったひとつ。
「ディズニーランドで働きたかったから」だ。
なんて軽い理由。と思われるかもしれないが、私は”いたって真剣です”という感じで、
これは幼いころからの夢だった。
母の後押しもあり、年のため、兵庫の学校2校、千葉県の学校2件を受験。
その結果、
兵庫の2校は不合格、千葉県の2校が合格・・・という結果に。
これは神様が導いてくれたんやー!と夢と希望に包まれ、上京!(上千葉?)
学生寮、附属の看護学校、病院が同じ敷地内にあるという好立地。
学校の雨に濡れんと行けるって、めっちゃ良くない?
通学時間は10秒だった。
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学生寮は、今はめずらしい二段ベッドの部屋に、門限は22時。
これを過ぎると施錠されて入れなくなる。
22時になると寮母さんが全部屋見回りに来る。彼氏との密会は許されなかった。
しかも朝6時に起床の放送が鳴り、「掃除をしましょう」的な放送で目覚め、共同のトイレや洗面所、食堂を掃除するのだ。
それでも当時はそれが苦痛とも感じず、18歳の私は、常にテンション高めで、毎日のように友達の部屋に集まり、毎日が修学旅行状態で楽しかった。
看護学生1年生は、比較的暇で、課題もあまりなく、結構遊んでいた。
バイトを始めたのもこの頃。土日は念願のディズニーランドでキャストをするという夢のような生活が続いた。
その幸せも長くは続かないことも、このころの私には皆無だった・・・。
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どうでもいい話しをするが、「共同のものあるある」を紹介しよう。本当にあるあるかどうかは知らんけど、ここに書くことはすべて事実である。
① お風呂場
もちろん大浴場だ。
シャワーが5、6個あって(多分)、それぞれ桶や洗面器、シャンプーなどを持っていく。
夜7時~9時の間は激戦だ。
1、2年生で実習がないころは、帰寮も早いが、実習が始まると、20時を過ぎることもあった。
くたくたで帰ってきて、お風呂に入ろうとしたとき、1年生が騒いでいたりすると、疲れはどっと増す。
1年生の頃は、先輩が怖かったので、桶を持って廊下に並んでいたりした。
大体みんな入る時間が決まっていて、私は空いている消灯ぎりぎりに入ることが多かった。
大きい湯舟で友達と話しながら入った記憶は鮮明だ。
ただ、テスト前に話していて、自分が知らないことを聞かされてめっちゃ焦ることもある。
この大浴場、なんか楽しそうな気もするけど、掃除も大変だし、恥じらいも少々ある。
湯舟にはつかりたくないという生徒も少なくなかった。
②トイレ
各階に学校のトイレのような感じで並んでいた。
トイレの時間ばっかりは、どうにもコントロールできない。
朝の時間は特に込み合うし、洋式が1つしかなかった。(多分)
デリケートなところなので、一人でゆっくりしたいという場合は、1階の食堂横を使用する。
これは、結構ストレスだった人も多いかもしれない。
③ 冷蔵庫
4階建ての寮で、各階に冷蔵庫が設置されており、共同で使用していた。
これで何が困るのかと言うと、「盗難事件」が起こるからだ。(もう時効なのだけど)
しょーもないことかもしれないけど、これは犯罪だ。
10本入りの箱アイスは最も危険だ。
なぜなら、持ち主でも1本なくなっていることに気付かない可能性があるから盗難されやすい。
ポキっと二つに割るタイプのやつもめちゃくちゃ取られる。
まぁ、それくらいなら「ああ、またやられたな」くらいに思っていたが、一番ショックだったのが、
「地元のお土産」を取られた時だ。
夏休み明けに、仙台出身の友達からもらった「喜久福」という大福がなくなっていたときは、泣きそうになった。
私たちが3年生になると、とられることはほとんどなくなったが、人間不信になるところだった。
④ 自転車
私たちの寮は、駅に行くのもバスで20分以上かかる山奥にあった。
コンビニにも自転車で5分はかかる。
そこで、寮には3台ほど自転車があり、共同で使用していた。
「自転車委員会」が存在しているくらい、自転車は大事で、重宝されていた。
しかし、これも困ることがある。
それは、「一人1時間ルール」だ。
玄関に鍵のboxとノートが置いてあり、自分に名前と、時間、「自転車の名前」を書きこむ。
わかりやすいように、自転車に名前が付けられていた。
なぜか自転車の名前が「おすぎ」と「ぴーこ」で、名簿に
「高橋 〇時〇分 おすぎ」と書くのだ。
そして、自転車のカギがないときは大騒ぎである。
だれかが1時間以上乗っているか、かぎを返すのを忘れているのか・・・。
寮内には、館内放送があり、たびたび先輩がキレ気味で、館内全体に
「おすぎのカギがありません。早く返してください」と流れるのであった。
おすぎのカギって何やねん。あんまり開けたくないわ。
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まぁ、それなりに寮ライフを楽しんでいた。
共同生活で大変なこともあるけど、もちろん良いこともある。
友達と過ごせて楽しい、ということもあるが、メリットは他にもある。
① 遅刻しない
最初にも話したけど、歩いて10秒だったので、起きてすぐに登校できるし、雨にも濡れないのも便利だった。
かばんも持たずに、教科書と筆記用具を持って、移動し、授業ごとに寮に帰る人もいた。
化粧もしなくていいし、ジャージだし、とてもだらしなかった気がする。
クラスでは、寮生と通学生が半々くらいだったので、どっちが寮生かは一目瞭然だった。
実習がある日は、「少しは化粧くらいしなさい」と怒られた。
晩年寝不足の実習時代は、徹夜することもあり、ぼさぼさの髪の毛をナースキャップに押し込んだものだ・・・。
② 実習先近い
実習先の病院が遠いと、それだけで疲れるし、朝も早いと大変。
でも、その心配はない。
寮から学校は10秒、病院は30秒だった。
精神科病棟がなかったので、精神領域のみ院外に出た。
近いのは良いことだが、正直飽きる。
しかも常に救急車の音が聞こえ、耳鳴りもサイレンになる。
③ 友情が熱い
毎日生活を共にするわけなので、仲良くならないわけがない。
青森、岩手、福島、宮城・・・と東北の生徒が多かった。
色んな方言が飛び交って、珍しく、楽しかった。
宿題やテスト勉強を友達の部屋でやったり、辛い実習も友達が居たから乗り越えられた。
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看護学校の思い出で、忘れてはいけなくのは、「恐怖体験」だ。
病院と同敷地内ということもあり、「見える」子も何人かいた。
寮も窓から、ちょうど屋上が見えて、人がいると、ちょっとドキッとした。
私は霊感がまったくないので、見えたりはしなかったけど、一度だけ不思議な体験をした。
それは、金曜日の夜。
金曜日は外泊が許可されていたので、寮にも人が少なかった。
部屋の壁に、備え付けの受話器があり、受話器を上げると、1階の放送室に繋がるようになっている。
1階には、電話があり、部屋番号を押せば内線で通話できる仕組みになっていた。
2階に住んでいた頃、1階の放送室から、「ルルルルル~」と電話がなる音がする。
カラオケで「お時間ですよー」とかかってくるときと同じ音だ。
結構大きい音で、1階までおりて、受話器を取ったが応答がない。
部屋番号しか書かれてないので、そのとき誰の部屋か分からなかった。
眠かったので、そのまま部屋に帰った。
すると、また電話が鳴った。
このとき完全に目は覚めて、受話器を取ってもまた応答がない。
名簿で確認すると、その部屋の子は外泊でいないはずだった。
受話器を置くと、すぐ鳴ってしまうので、仕方なく受話器をあげたまま、寮母さんを起こして、マスターキーを借りた。
寮母さんと部屋に入ると、
誰もいない部屋の受話器が落ちて、ダラーンと壁にぶらさがっていた。
めちゃくちゃ鳥肌が立ったけど、そっと受話器を置いて、深く考えるのはやめた。
たまたま落ちただけかもしれないけど、今考えても不思議だ。
ちなみのその部屋の子は同級生だったが、その1ケ月後に学校を辞めた。
関係ないと思うが・・・。
いかがでしたか?
今だから笑える話ばかりで、懐かしくなりました。
ちなみに私が通っていた寮も、学校も、今は取り壊されてしまいました。
通りかかると、とても立派できれいな建物で、学校の上層階が寮になっていて、ワンルームらしい。
もう、お風呂に並ぶことも、トイレに気を遣うことも、冷蔵庫のものがなくなることもないようです。
母校がなくなってしまうのは、なんだか悲しい。
時代の流れですかね~。
誰かの役に立つような内容になりませんでしたが、最後まで読んでいただきありがとうございましたm(__)m
私がコーチのことは忘れないでくださいっ(^-^;
体験セッションお待ちしています!!