【看護師】は【ロジカル】であるべきか?

ふと私が看護師人生を振り返ったとき、病院で働いていたときの思考と、現在看護師コーチとしての思考がまったく違うことに気付きました。
何が大きく違うのかと言うと、「ロジカル」か、そうでないかと
いうことです。
ロジカルとは、「理論的な、合理的な、理にかなった」という意味です。
一見すると、病院で働く看護師こそ「ロジカル」であるように思いがちですが、実際はどうでしょうか?
この「一見ロジカル」と表現したのは、すべての看護技術においてマニュアルが存在し、根拠に基づいて援助することが看護学生のころから叩き込まれ、それが理論的であると勘違いしている場合が多いからです。
小学校でも、看護学校でも、「いかに正確な答えを出せるか」というところに注目するあまり、「質問をする」ということはあまり学びません。
看護学校の実習でも、びっしり書いたメモ帳から、看護師に聞かれたことの答えを必死で探します。
申し送りでも、「○○をしました」と行ったことの報告をします。
看護では失敗が許されない世界であり、質問することより答えを出すことが重要視されていることから、「ロジカルでない」と思います。
本来の意味でのロジカルとは、その根拠でさえ、「なぜ、それを行うのか」と問いをたてます。
でも、現場はというと、例えば、なぜこの看護技術が必要かと問われると、「マニュアルだから」「決まっていることだから」「教科書に書いているから」と答えることが多いでしょう。
教科書に書いていることが絶対と、多くの人が感じていると思います。
そこで、ロジカルな場合、そこに質問を重ねて、
「どういう経緯でマニュアルに記載されたのか」「決まっていることだけど、これからも通用する根拠はどこにあるのか」「教科書に書かれているデータのエビデンスは何だろうか」と考えることです。
とは言え、ひとつの看護技術にいちいちそんなことを考えていたら、仕事になりませんよね。
とにかく就職したら、そこの病院のやり方、業務、手順を覚えるだけで精一杯だったことが分かります。
本当の意味を知るということより、早く仕事に慣れること、その病院の方針に従うことが求められます。
「分かったこと」ことにして毎日のルーティンに従って仕事をする、いわば思考停止の状態です。
別にそれが悪いと言っているわけではありません。
もちろん、患者さん相手のことですから、スムーズに業務をこなすことで患者さんへの負担も減らすことができます。
マニュアルに何度助けられたかもわかりません。
なので、ここで看護師がロジカルであるべきか、ないべきかという結論を出すわけではなく、一人ひとりがどのような意識で仕事をしているのかを知りたいことと、そのような思考もあることを知ってもらいたいのです。
同じ病院での業務が長くなると、そこが世界のすべてというような錯覚に陥ります。
大きい病院であれば、そこの最先端医療がすべてだと感じるし、専門科で働いていたら、それに関連した疾患に偏った知識になります。
「知らないこと」が怖くて、専門的な知識をどんどん詰め込み、看護書が部屋を埋め尽くすとき、知識は増えているはずなのに、視野を狭めてしまっている可能性があります。
真のロジカルに考えるということは、いろんな側面から物事を見て、そこにいろんな質問から自分の意見も取り入れるため、とても感性豊かに考えるということです。
「1+1=2」というように、決まりきった答えについて疑うことをしないけど、普段何気なく当たり前にように行っていることは、本当にロジカルでしょうか。
ロジカルであるためには、感情を自分でも意識して、覚醒状態、見当識、喜怒哀楽など「今の自分の状態」をまず知ることが大切。
その上で、自分と向き合ってみてください。
自分に、毎日行っていることの根拠を問うてみてください。
「あなたが本当にやりたいことはなんですか?」
私の体験談で言うと、5年以上勤めていた病院で、点滴などの自己抜去があると、「身体拘束をする」というマニュアルがありました。(マニュアルと言っても、正式なものではなく暗黙のルールでした)
私が20代で転職したときには、20代の看護師がおらず、周りはほとんどが何十年もそこで勤めるベテランばかり。
それまでに私も大きな病院での経験があったので、思うことはありましたが、「郷に入っては郷に従え」と言われ、何も考えずに言われるがままに、いつの間にか当たり前のように身体拘束をしていました。
身体拘束に関しては、世間でも話題になるほど倫理的な問題もあったので、何も感じないわけではありませんでしたが、病院長、看護部長のお考えには逆らえないという風潮もありました。
当たり前に働いていた私が、偶然コーチングというものに出会い、アドラー心理学やこれまで看護以外で触れることのなかった世界に触れました。
そのとき、真のロジカルな考え方についても考えるきっかけとなって、「長年やっているからといって、適切ではない」と主張するようになったのです。
拘束をする自分は、「これは間違えている」と感じ、それについてみんなで考える必要があると看護部長に直談判。
今思うと、よそ者がうるさいなぁ・・・・と思われていたかもしれませんが、勉強会を開く機会を与えてくれたり、看護協会の認知症看護の研修にも行かせてくれました。
病棟内でも、少しずつ声をあげていき、自己抜去を防ぐ方法を検討していきました。
すると、他の病棟の看護師長が賛同してくださり、少しずつ拘束を外していくことになったんです。
一人では成しえなくても、まず自分の感じていることを意識して、周りにそれを伝えることで、周りにも考えを与えることはとても意味のあることだと感じた一件でした。
いかがでしょうか?
普段の仕事を振り返り、何か感じることがあるでしょうか?
ロジカルだろうが、なかろうが、それよりも「自分はどう思うか?」を問い続けてほしいと思っています。
現状を知り、過去のことを思い出し、さらにどんな未来を描きたいのか、それを導くためにコーチがいます。
是非、仕事を振り返る機会を体験してみてください!
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