【アドラー心理学】理想の自分になるための心構え!

あなたは、「理想の自分」のイメージを持っていますか?
あんな風になりたいとか、こんな自分でありたい、というような自分のことです。
看護師なら、あんな看護師になりたいとか、看護師としてこんな風に働きたいという〝理想〟があるでしょうか?
でも、そんな理想があるからこそ、立ちはだかるのが、現実の自分との大きな壁…。
今の状態と比べて、「どうせ私なんて…」
と理想から程遠い状態にがっかりすることもあります。
アドラー心理学では、そんな理想の自分と現在の自分とのギャップのことを〝劣等感〟と呼んでおり、悪いものだとは考えていません。
看護師として、誰かの幸せを願うことは多いかもしれませんが、あなた自身の幸せは、「なりたい自分になる」ことだと言えるでしょう。
人はそれぞれ大切にしたいことも、ゴールも違うので、人と比べて落ち込んだり、悩んだりしてもしょうがないんです。
とは言え、仕事をしていると、同期の子と比べたり、周りの人より技術不足だと感じて悩むことは多々あると思います。
そんな時は、理想のイメージに戻って、そこに向かって今何ができるかを考えて行動するのみ。
これは、「劣等感の補償」といわれていて、理想の自分と現状の自分のギャップを補うということです。
世の中、優れた看護師なんて、たくさんいます。
ここで〝優れた〟と表現しましたが、何をもって〝優れた〟と判断するかも分からないし、知識や経験によって多少の差がでることは当たり前です。
そんな〝優れた〟看護師と比べて落ち込んだり、羨んだり、自分が嫌いになったりして、「私なんて看護師に向いてない」とか「ここの場所が悪い」とか言いながら、辞めてしまう人もたくさんいます。
これを「劣等コンプレックス」と表現し、本当にもったいないな〜と思うんです。
人は人、自分は自分で、理想の自分に意識を向けて、やることをやれば必ず成長できます。
看護に正解はないので、自分の理想を突き詰めて、そこに向かっていくことで、自分らしい看護観を誇りに、イキイキ働くことができると思っています。
〝理想の自分〟を描いたって、人間なので、失敗することは必ずあります。
私はアドラー心理学を学んで、1番最後まで理解に苦しんだのが、「不完全である勇気」です。
最初にコーチングを教えてくれた師匠は、この言葉をよく使っていました。
師匠だけど、できない部分をさらけ出したり、もちろん失敗することもあって、それを隠さずにいることは、私たちの勇気になっていました。
しかし、看護の世界での〝不完全〟とは、=〝死〟を表すと、私が勝手に定義づけして、断固として「不完全は悪だ」と言い張っていたのです。
もちろんアドラーは看護師ではないので、これが医療のことで言っているのではないと、今では理解できますが、当時はえらく反発していました。
でも、自分の〝人生〟を考えた時、究極の自分になるなんて、死ぬまでになれるわけはないので、よく考えれば誰もが不完全なんですよね。
それを、認めるか、認めないか、ということです。
認めた上で、理想に向かって日々取り組むことができるといいですよね。
不完全であるのは当たり前で、不完全であるからこそ、謙虚に学んで成長するし、不完全だからこそ人と助け合えるんです。
私がもし、完璧主義のまま、不完全を受け入れられずにいたら、それはクライアントに対しても完全を求めてしまい、途中で心が折れてしまうでしょう。
今、不完全である勇気を理解した上で、自分自身も、クライアントに対してもお互い認め合うことができるんです。
セッションでは、そんな風にクライアントとコーチの関係に中で、私自身も不完全な一面を見せることもあります。(もともとおっちょこちょいなので、不完全なことは多いかも)
でも、そこも含めて認め合える信頼関係を築くように心がけています。
是非、体験セッションで感じてみてください(^^)/