「生きる」ことに理由はないのか。

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死と向き合う現場にいるとき、よくこう思います。

「私はなんのために生きているのかな」

と。

人は必ず死ぬので、自分の命もいつか途切れる日が来ることは分かっているのに、

毎日ただ、何のために生きているのか分からない毎日。


でも、

わたしたちは、ただ生きているだけ――。

生きている理由を探そうと思っても、どこにもないのが事実。

すべての生物が、生存するためにただ生きているということです。

でも、理由がないということは、「どう捉えてもいい」ということで、

どんな理由でも、どれも間違いではない。

誰も正解だとは保証してくれないけれど、自分ですべて「選択してもいい」ということですよね。

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脳科学者の中野信子さんは、

「生きる意味はない」という事実に絶望を抱く人もいるのかもしれません。でも、論理的にはこう考えることが可能です。

「生きる意味が最初から与えられていないのなら、あとから自分でどんな意味づけをすることも許されている」

つまり、「生きる意味は、楽しむことにある」「生まれてきて良かったと、死ぬその瞬間に思うために生きている」など、好きなように決めていいということです。

もちろん、人生にはさまざまな困難がついてまわります。両親や生まれた環境、人間関係などのしがらみに絡め取られて、絶望や虚無感にさいなまれながら生きている人もいるはずです。それでも、本来は自分の人生なのですから自分の好きにしていいのです。まったく自由に生きていいのです。

数学の言葉を借りると、人生の解は「不定」でしょうか。

不定というのは、「無数の解が存在する」という意味です。その無限に存在する解のひとつに、「あなたが選ぶ」という初期条件を与え、あなたがそう決めたのなら、それが正解になるということです。

逆にいえば、あなたではない誰かが、あなたの正解を決めてしまうこともあり得るということ。でも、その状態は決して心地良いものではないはずです。

それを受け入れる生き方もあるかもしれませんが、やはり自分の選んだ答えを正解にしていく人生に大きなよろこびがあるのではないかと、わたしは考えます。そして、そういう生き方をおすすめしたい。

誰だって、「自分なりの幸せを探したい」と思っていますよね。そんなみなさんに、わたしは強くお伝えしたいのです。

「人生には誰かが決めた答えというものはなく、正解はあなたが決めるのだ」と。

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と言われています。

 
私も「生きる意味」を自問自答してきましたが、それを考えること自体に意味があるのでしょう。

今、働いている場所がとても辛く、苦しいなら、自分のことを何よりも優先させてほしいと思っています。

社会人として、周りに迷惑をかけるから、親が悲しむから、と自分の心の声をあえて聞こえないフリをしていませんか?

普段普通に生活していて、「生きる意味」なんて考える機会はありませんよね。

私もこういうコーチというような仕事をしているから、向き合う機会が多くなっただけで、現場では業務に追われてそれどころではありません。

だけど、仕事でも家庭でも上手くいかなくて、何もかも投げ出したくなるとき、

「何のために生きてるのかな?」

と考えます。

私がここでごちゃごちゃ書くより、

「自分の生きる意味」について、少しだけ考えてもらった方が時間が有意義に使えると思います。

誰かに「私の生きる意味とはなんですか?」と聞いても分かりません。

あなた自身の中に正解があるのだから、自分に問うしかないんです。

ここで考え込み過ぎると、答えがわからないことに自分の生きる意味を見出せない、と思ってしまうことがあります。

だけど、私が思う「生きる意味」とは、

「誰かに必要とされること」

「誰かにとって大切な存在であること」

だと思うんです。

職場でも家庭でも、「自分が必要とされている」と感じられたらいいなぁと思います。

是非体験セッションで、あなたにとって「生きる」とは何か、聴かせてくださいね(^^)/

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