「心のブレーキ」は外すべき?

よく、何かやりたいことがあっても、自分の中に、
「そんなの無理だよ」
「やめておきなよ」
という自分が出てくることを、「心のブレーキ」と言います。
それは、やりたいことの妨げになるから、ブレーキを外しましょう!という人もいますが、
皆さんはどう思いますか?
色んな考え方があって、もちろんOKなんですが、
アドラー心理学では、
「やりたい自分」と「やりたくない自分」を分けずに、
「分割できない存在である個人」心理学で、
それを「全体論」と呼んでいます。
何か二つに分けるのではなく、アドラーは、
「私たちは全体の損得を考え、自らの目的のために選択して、行動しといる」
と言っています。
例えば、「感情」と「理性」の2つがあって、
「感情が抑えられなくて、理性に負けて殴った」
というような考え方ではなく、
「相手を服従させたい」「自分の想いを理解してほしい」という、〝目的〟があり、
理性と感情が「連携」して、個人全体として、「選択した」
という考えになります。
私も、コーチになろうと決めて、「これからどうやってやっていこう!」と考えていたとき、突然、ブレーキが発動しました。
まず、
「あなたなんかにできるの?」
って。
たしかに、実績も経験もなくて、私なんかにできるのか、まったく自信もないし、
どうやってやればいいかも分かりません。
そのとき、その〝心のブレーキ〟が私の行動を制御します。
ただ、そのとき、心のブレーキに反発すればするほど、それはぶつかり合います。
ここで大切なのは、「目的」は何なのか?ということです。
「あなたにできるの?」という言葉の目的は、
「誰かの役に立ちたい」ということ。
一見、そのブレーキはネガティブな表現に感じますが、
それも何か意図があるのではないか、というのが、アドラー心理学の考えです。
車のアクセルとブレーキだとしたら、ブレーキを外したりしませんよね?
このとき、私も、もう1人の自分が本当の声を教えてくれていたんだと思います。
「今のままだと、うまくいかないんじゃない?
もっと色んな人の役に立つために、何かできることがあるんじゃない?」
私がコーチをやろうと決めたとき、家族の賛同は得られておらず、
「家族に反対されたままだと、幸せになれないんじゃない?」
「自分一人でやるのは、大変でしょ?」
「あなたが望んでいることは、家族と幸せになることだよね?」
という風に、最初の、
「あなたにできるの?」と言っている私の声を聞いて、受け取ると、
「そうか、心のブレーキは私を心配してくれていたんだね」ということです。
つまり、アドラー心理学上、
「心のブレーキは必要」というのが結論です。
そもそもの「役に立ちたい」という目的さえあれば、そのあとは、
「やりたい自分」と「やりたくない自分」のポジションにそれぞれ立って、思いを伝えてみてもいいし、
それをやった時、周りからはどんな風に思われるか、クライアント目線でポジションを変えてもいいし、
それによって、またそれぞれの見え方が変わってきます。
うちの場合、夫は起業することに反対していました。
それに対して、
「なんで気持ちを分かってくれないの?」と反発すれば、溝は深まるばかり。
こんなときも、一度夫の立場になって考えてみます。
「家計の管理をすべてやってくれている夫にとって、私の収入が不安定になることはすごく不安だろうなぁ。」
「私ができなくて落ち込んだ姿を見たくないと思っているんだろうなぁ」
と、夫の立場に立つことで、俯瞰して見られるし、
自分一人で突き進んでやっていくのではなくて、二人の「共有ゾーン」を見つけた方が、
応援もしてもらえて、自分もどんどん行動できます。
誰が正しいとか、従うとか、相手と戦うのではなく、
「全員が応援してくれてる!」という視点で全体から戦略や方法を考えるのが、「全体論」の考え方です。
あなたの味方がたくさんいることだけは、忘れないでくださいね!
もちろん、私もあなたの味方ですよー(^^)/
いつでも話しを聴かせてくださいね♪